◎  お道の信心は本心の玉を研く以外にない。。。。

昭和四十四年六月三日 夜の御理解


 お道の新聞を読まして頂いておりましたら、竹内長次というお道の先生でもあると同時に、お医者さんでもある。大きな病院を経営しとられる有名な先生がおられます。があの、ほんとに読まして頂いておってから、我が意を得たり、とこう申しますかね。何かこのごろはこの我が意を得ぬことが、読み物読んでおっても、まあ歯痒いまでに、そういう感じをするですけども、今日は、その方の書かれたものを読ませて頂いておってから、ほんとにあの、こういう方たちがまあだ教団の中にあるんだと、しかもこういう有名な人たちにあるということを思わしてもらっただけで、たいへん力強いものを感じたんですがね。もう信心は結局、どういうことを通してでもやはり、本心の玉を研く以外にないんだということを、非常にあの、強調して書いておられますですね。そこの一節を読んでみましょう。
 「人の親に孝行するのと、本体の親様に孝行さしてもらうのと、すこし違うと私が言いかけたのは、この点である。親神様は、ご自身の利益や満足を求め、氏子に信心せよとはおっしゃらない。無条件、ただ、氏子よ、心を神に向けてくれ。そしてめいめいの本心の玉を研いてくれ。それが信心で、それで助かるのじゃと。とおおせられているのである。このことをさらに明示し給うのは、かの天地書附である。と拝する。「生神金光大神、天地金乃神、一心に願え」は我が心が神に向かう姿であり、「おかげは和賀心にあり」が、本心の玉を研くことによって成就するのである。」とありますですね。  そういう信心を指針に書いておられるわけですけれども、もう確かにここ以外にはないんだと思います。もうすべてのことがですね、本心の玉を研くということにしぼる以外にはないのだということ。今日はそういう意味でほんとに、今朝方の御理解とは反対に我が意を得たりというような、有り難い気持ちにならせて頂いたから、皆さんにもそのことを分かって頂きたいと思っております。どうぞ